《母の老い》 |
病院嫌いの母からSOSの電話がかかってきたのは晩秋の夜更けだった。 翌朝、道東に向かう特急に飛び乗った。 あれから一年六ヶ月。 「おまけの人生だから、寂しくないよ」と穏やかに一人暮らしを楽しんでいた 母だった。 脳外科病院の検査を経て、うつ状態から回復しても記憶障害は 変わらなかった。 とはいえ、痴呆の初期に効果があるという投薬のせいか、 八十二歳の母の日常生活はかろうじて維持されている。 「まだ一人で暮らせる」と言い張る母の側で過ごす日々は閉塞感に満ち、 母の元を去れば、心配で眠れぬ夜が続いた。 そんな私の心を見透かすように、ある日母は毅然として言った。 「この年になれば先は知れている。だからお母さんのことは気に病まなくて いい。それよりおまえがこの先、年をとりボケたら、どんな老後を送るのかと 思うと、その方が心配で死にきれない」 母はどこまでも母だった。 泣いていいのか、笑っていいのか。 この胸の 塞がる言葉も、母の記憶には残らない。 まさに母は『今』を生きている。 この四月から私は札幌と釧路を往復する生 活に終止符を打ち、車を運転すれば四十分で母の家まで行けるようになった。 果たして母の望む暮らしがいつまで続くのか。 今年も季節はめぐり、母の 愛する庭木の芽は日ごとに膨らんでいる。 デイサービスに通い、ヘルパー さんに助けられながら、母の笑顔も天使になっていく。 2003年4月29日 北海道新聞 『いずみ』欄より |
注) 厚生労働省により、2005年から「痴呆症」→「認知症」に用語が変更となる
I was about to leave my mother's place, when she cut this flower to give me. |
whenever my mother talks to flowers, they always respond to her with smiles. |
My mother picked up the old cherry which has a lot of lines on it. |
My mother's favorites. I can see her happy face. |